小竹町聖書教会の理念

「私たちの教会は、聖書を神のことばと信じ、礼拝を大切にし、互いを尊重し、福音を宣べ伝える教会です。」

<内容>

①「聖書を神のことばと信じ、」

私たちは、聖書を信仰と生活のすべてにおける唯一、不変、不動の基準と認め、聖書の教えに従って生きることを目指します。
私たちは、聖書にある神の教え、恵み、救いをよりよく知り、理解するために聖書を大切にして歩みます。

②「礼拝を大切にし、」

礼拝は、「神を愛する」という第一に大切な戒めに対する、私たちの応答です。
礼拝は信仰者としての務めであり、招いてくださる神と出会う最高の恵みの場です。
主にある兄弟姉妹が集まってささげる主日礼拝が、公的な教会活動および個人的な信仰生活の双方の基本です。
聖礼典を大切にし、聖餐を執り行います。

③「互いを尊重し、」

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という大切な戒めを教会と遣わされた場所で覚えて歩みます
ひとりひとりは、キリストがいのちを捨てるほどに愛している尊い存在であることと認めます。
ひとりひとりはキリストのからだである教会になくてはならない大切な存在であり、不要な人などひとりもいないと考えます。
キリストの愛にならって、互いに愛し合い、祈り合い、キリストに仕えるように、互いに仕え合うことを願います。

④「福音を宣べ伝える」

教会の使命は福音の宣教であり、人々をキリストの救いに導くことであることを自覚します。
常に外に向けて開かれた教会を心がけ、一人でも多くの人に福音を語るように努めます。
ひとりひとりがキリストの福音を携えて、世に遣わされ、主を証しすることを目指します。

信仰告白

前文 本教団は、聖書の啓示するイエス・キリストを主とする公同教会の一員であり、聖書信仰に立って次の信仰を告白する。
「我らは、聖書において啓示され、使徒信条をはじめとする公同の信条が言い表し、宗教改革において鮮明にされた信仰にもとづいて、次のように信じ、告白する。

旧、新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、神の救いの計画の全体を啓示し、救い主イエス・キリストを顕(あらわ)し、救いの道を教える信仰と生活の唯一絶対の規範である。
神は霊であり、唯一全能の主である。神は永遠に父と子と聖霊の三位一体(さんみいったい)であって、その本質において同一であり、力と栄光とを等しくする。
神は、永遠の御旨(みむね)により万物を創造し、造られたものを摂理によって統(す)べ治める絶対主権者である。
はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタンに誘惑され、神のいましめに背いて罪を犯し、神のかたちを毀損(きそん)した。それゆえ、すべての人は生まれながら罪と悲惨、死の支配のもとにあり、思いと言葉と行為とにおいて罪ある者である。自分の努力によっては神に立ち返ることができず、永遠の滅びに至る。
主イエス・キリストは、父なる神のひとり子であって、聖霊によって宿り、処女(おとめ)マリヤより生まれたまことの神にしてまことの人である。主は我らに代わって十字架にかかり、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者の中からよみがえり、我らのために贖(あがな)いを成し遂げ、我らに永遠のいのちを与えた。主は天に昇り、父なる神の右の座に着き、大祭司として今も我らのために執り成している。
聖霊は、我らに父と子を示し、罪を認めさせ、赦しを与え、我らを新たに生まれさせ、神の子とする。人は、自分の行いによらず神の恵みにより、主イエス・キリストの贖(あがな)いのゆえに、キリストを信じるただその信仰によって義と認められる。さらに、聖霊は、助け主、慰め主として我らの中に住み、我らを主と同じかたちに造りかえ、我らに御旨(みむね)を行わせ、世の終わりまで我らとともにあり、我らをキリストとの共同相続人とする。
教会は、聖霊によって召し出された神の民、主イエス・キリストをかしらとするからだであり、羊飼いなる主の御声にのみ聴き従う羊の群れである。地上の教会は、再び来られる主を待ち望みつつ礼拝し、みことばを説教し、聖礼典を執行し、戒規を重んじ、聖霊の力によって全世界に福音を宣べ伝える。
終わりの時に、主イエス・キリストはみからだをもって再臨し、生ける者と死せる者とを審判する。主は我らをからだをもってよみがえらせ、我らをご自身の栄光と同じ姿に造りかえ、万物を新たにし、神の国を完成する。

ニカイア信条

我らは、唯一の主、イエス・キリストを信ず。主は神のひとり子、よろず世に先立って御父より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真(まこと)の神、造られずして生まれ、御父と同質にして、万物は主によって造られたり。主は我ら人類のため、また我らの救いのために天より下り、聖霊によりて処女(おとめ)マリヤより肉体をとりて人となり、我らのためにポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って三日目によみがえり、天にのぼり、御父の右に座したまえり。主は生ける者と死ねる者とをさばくために栄光をもって再び来たりたもう。その国は終わることがない。

我らは、主にしていのちを与える聖霊を信ず。聖霊は御父と御子より出で、御父と御子とともに礼拝せられ、ともに栄光を受けられ、預言者たちを通して語りたまえり。我らは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信ず。我らは、罪の赦しのための唯一のバプテスマを告白する。我らは、死者の復活と、来たるべき世のいのちとを待ち望む。 アーメン